十六世紀後半以降、領主の奥平氏によって始められた「能」であったが、十七世紀末の貞享・元禄期になると、静岡県・三ケ日の大福寺に閑居していた喜多流の高弟 服部三左衛門が近隣の人々を指導していたことが知られている。
宝永五年(1708)に新城で三左衛門が興行していた能には、「浜名」・「長篠」・「新城」などから役者が参加したといい、十六世紀末に領主によって始められた「専門家集団による演能」は、17世紀末~18世紀初頭には広く地元住民による「素人集団を含めた演能」として芸能が土着化した。
つまり、富永神社(天王社)の創建と同様に、富永神社に伝わる祭礼行事も「信昌にゆかりのあるもの」として、地域の人々が大切に守り伝えてきたものと言えよう。 (新城市長篠城址史跡保存館資料による)
祭礼能 絵馬
この絵馬は嘉永三年(1850)に吉田城内の神明社遷宮を祝して、新城・富永神社に奉納されたものである。
毎年10月に富永神社で行われる例大祭には「祭礼能」が奉納される。
これは新城城の完成を祝うため、天正四年(1576)九月に徳川家康が観世与三郎を招いて二の丸で披露された「祝能」がその始まりとされる。
相撲 絵馬
時期不明の新城・富永神社に奉納された絵馬
長篠・富永神社では現在も祭礼時に相撲(子ども相撲)が境内で奉納されている。
体毛を一本一本丁寧に描き、荒々しい筋肉とともに力強く二人の力士が描かれている。
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